WEBでちょい旅 一厘録 ICHIRINROKU

雄勝硯石プレート「絆」(宮城県×新潟県)2013.09.05 /zakka

硯の生産量日本一を誇る宮城県石巻市雄勝地区。原料は地元で採れる「雄勝石」と呼ばれる良質な天然スレート(粘板岩)だ。2012年10月に創建当時の姿で“復原”した東京駅丸の内駅舎の屋根瓦に使われているのも、東日本大震災の津波被害を生き抜いた雄勝のスレートである。

“硯のまち”を襲った津波

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約600年の歴史を持ち、かの伊達政宗にも献上され愛用されたと伝えられている雄勝硯。雄勝石の品質と職人の高い技術が全国的にも評価され、1985(昭和60)年には通商産業大臣(当時)より伝統的工芸品の指定を受けた。
雄勝石は、北上山系のペルム紀(今からおよそ2億5000万年〜3億年前)に属する地層から採れる黒色の硬質粘板岩。圧縮や曲げに強く風化しにくいことから、硯や食器に加工されるほか、天然のスレート瓦として東京駅丸の内駅舎や北海道庁旧庁舎(赤レンガ庁舎)などの屋根に葺かれている。

もともと雄勝石のスレートは最初の東京駅の屋根に使われていて、戦後の修復では同じ宮城県の登米町(現・登米市)産のものも採用された。創建当時の状態に戻す復原工事にあたり、丁寧にはがされたこれらのスレートは再使用可能な分を清掃・修復するために雄勝へと里帰りした。
そこへ東日本大震災が発生。お色直しを終えて倉庫で出荷を待っていたスレートも、津波で流されてしまう。
補修に携わった人たちは、泥やがれきの中から一枚一枚スレートを拾ってはもう一度洗い、修繕していった。気の遠くなるような作業だが、彼らは自分たちの後片付けや生活の立て直しを後回しにしてまで取り組んだ。その甲斐あって、新たに生産していた分と合わせ、雄勝のスレートは無事東京駅に納品された。

枚数の不足分はスペイン産のスレートで補っているが、泥の中から救い出した国産のスレートは、雄勝産が中央部の屋根、登米産が南北ドーム部と、どちらも東京駅を象徴する部分に配置された。

悠久の時を生きた漆黒の石肌

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新潟県にある1886(明治19)年創業の洋食器メーカー・大橋洋食器の雄勝硯石プレート「絆」は、亡くなった先代の社長が震災前から雄勝の製硯所と協力して開発を進めていたもの。
震災で石巻は津波の直撃を受け、東京駅のスレートだけでなく雄勝石の関連産業全体が壊滅、犠牲者も出た。一時は生産不能な状態となったが、雄勝の人々は流出した原料用の石や製品を回収し作業機械を修理。雄勝硯生産販売協同組合が建てた共同の作業場で、震災から約1年を経てようやく生産を再開する。

大量生産品と違い一つ一つが職人による手作りなので震災前の生産体制に戻るにはまだ時間がかかるかもしれない。しかし少しずつ“硯のまち”は再生への道を歩み始めた。
大橋洋食器の「絆」シリーズだけでなく、雄勝硯のプレートは今も品薄が続いていて、枚数や注文時期によっては入荷までに時間がかかる場合も。ウェブサイトをチェックすると運よく「在庫あり」と出ていたので、ラインナップの中で比較的小さい13cmのスクウェアプレートを購入してみた。13cmはちょっとしたおつまみやスイーツを乗せるのにちょうどいい大きさだ。天然石の削り出しならではの荒々しさと繊細さを併せ持つ石肌は、向きによって違った表情が楽しめる。落ち着きのある漆黒がテーブルを引き締め、上に乗せる料理を美しく際立たせてくれる。

このプレートが世に出るまでに、どれだけ多くの人々による苦労があったかを考えると、とても感慨深い。2億年以上の時を旅してきた雄勝石。その石で作られるプレートの一つ一つに、震災の被害から立ち上がり“硯のまち”を守ってきた彼らの不屈の精神が込められているようだ。

ライター:和泉朋樹

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大橋洋食器

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新潟県新潟市中央区本町通8-1352
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