WEBでちょい旅 一厘録 ICHIRINROKU

にしんのおかげ(北海道)2015.05.01 /food

ニシン漁で栄えた明治後期〜昭和初期の北海道。一攫千金を夢見た男たちであふれ、「江戸にもない」と言われた浜の賑わいを、“ニシン御殿”の豪華さが物語っている。岩内町にある一八興業水産も、そうした歴史と伝統に培われたニシン加工技術を今に受け継ぐ会社だ。

消えたニシンと漁師たちの夢

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NHKの朝ドラ「マッサン」に、森野熊虎という北海道余市のニシン漁網元が出てきた。マッサンを迎えた“ニシン御殿”では、ヤン衆(漁のために雇われた出稼ぎの男たち)が集まり、飲めや歌えの酒盛りが始まる。2年後にマッサンが再び余市を訪ねると、あれだけいた漁師たちは離れ、熊虎は借金で首が回らなくなっていた。ニシンが全く獲れなくなったからだ。

余市をはじめ、江差や寿都、小樽、小平、留萌など北海道の日本海沿岸は、明治の終わりから大正、昭和の初めにかけて“ニシン景気”に湧いた。ニシンは主に肥料として本州へ送られ日本の農業を支え、また身欠きニシンや干し数の子などに加工された。産卵期を迎えた群れがやってくると、オスのニシンが放出する白子で海が乳白色に染まる。「群来(くき)」と呼ばれるこの現象は、北海道に春の訪れと富をもたらす吉兆だった。網一起こし千両、漁期にニシンを獲ったら、あとは一年遊んで暮らせる。網元たちは金に糸目を付けず、競うように贅をこらした御殿を建てた。「江差の五月は江戸にもない」と言われたほどの栄華を、今も残る漁場の遺構で垣間見ることができる。

獲れるだけ獲る漁業はやがて終わりを告げる。ニシンの群れは次第に姿を消し、1955(昭和30)年を境に群来は完全に途絶えた。乱獲や海水温の上昇、森林伐採、あるいはそれらが複合的に影響したとも言われるが、はっきりとは分かっていない。

“恵みの海”へ、感謝と敬意を込めて

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積丹半島の付け根にある岩内町もニシンの千石場所として栄えたが、町史によると1932(昭和7)年に「ニシン漁皆無となる」とある。とはいえ伝統に培われた加工技術は健在で、今でも身欠きニシンの生産量は日本一だ。

その特産品である身欠きニシンの需要減に危機感を持ち、今一度ニシンを使った新しい商品を、と思い立ったのが、一八興業水産の紀 哲郎社長。2008年、当時専務だった紀さんは、北海道立食品加工研究センター(食加研)が発表した「魚肉発酵ペースト」の技術に着目し、魚醤をヒントに、長年扱ってきたニシンを用いて味噌を作ることを考えた。食加研協力の下、経済産業省の中小企業地域資源活用プログラムを利用して開発に着手する。

骨や皮、内臓を取り除いてミンチにしたニシンを、地元の「日本海岩内海洋深層水」でボイル。米麹と塩を加えて樽に詰め、温度管理をしながら約2カ月間熟成・発酵させる。材料の配合などを変えながら試行錯誤を重ね、サンプル配布や試食による市場調査を行い、「ニシンで作った味噌」の周知を図っていった。

こうして2009年に発売を始めた「にしんのおかげ」は、2011年に第18回北海道加工食品フェアで優秀賞を獲得し、翌年、日本野菜ソムリエ協会主催の調味料選手権で入賞するなど、徐々に評価を高めていった。その名には、創業以来100年にわたってニシン加工品を作り続けてきた同社の、ニシンに対する感謝と敬意が込められている。

素材の醸すうまみを、まずはそのまま

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ニシンの持つ香味を楽しむなら、あまり熱を加えすぎずにアンチョビや塩うにのような使い方をするのがおすすめだ。箸でちょっとつまんでそのまま食べるだけで、お酒もご飯も進む。試してほしいのは、ふかしたジャガイモに、マヨネーズと混ぜた「にしんのおかげ」を乗せる食べ方。北海道では「じゃがバター」同様にポピュラーな「ジャガイモの塩辛乗せ」にも匹敵するうまさだと思う。

人工孵化や稚魚の放流などの甲斐もあってか、北海道では近年再び群来が見られるようになった。“幻の魚”の名こそ返上したが、最盛期に比べれば漁獲量はまだわずか。いつかまたニシンの大群が戻ってくることを願って、感謝しながらいただきたい。

ライター:和泉朋樹

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一八興業水産

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住所
北海道岩内郡岩内町字大浜68番地7
TEL
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