WEBでちょい旅 一厘録 ICHIRINROKU

オホーツクの塩豆(北海道)2014.10.24 /food

何気なく手にした豆菓子の袋。裏を見ると「岡女堂」という名が。岡女堂? どこかで聞いたような……。ふと、2006年に廃止された北海道のローカル線「ふるさと銀河線」に「岡女堂」という駅があったことを思い出した。

のどかで、少しせつないローカル線の旅

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「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」は、池田−北見間の森や平野を約3時間で走り抜ける、一両編成のローカル線。沿線に暮らす人々の足として親しまれたが、乗客数の減少と赤字により2006年、17年(旧国鉄網走線から数えると96年)の歴史に幕を閉じ、バス路線へと転換された。

廃止の前年、取材で乗り込んだ。車内は地元の利用客に加えて、廃線を聞きつけた鉄道ファンらしき人たちもいて、それなりに賑やかだった。こういうとき、つい「いつもこんなに客がいたら、なくなることもないだろうに」と思いがちだが、それもまた無責任な感想だし、多分、日本中どこの廃止寸前路線でも繰り広げられる光景なのだろう。

大小合わせて33の駅はどれも個性的で趣のあるものばかり。途中、線路をシカの親子が横切って一時停車するという、北海道ならではのハプニングにも出くわした。通勤・通学で電車を利用するという経験がなかったので個人的には楽しい経験だったが、「鉄路がなくなれば、たとえバスに転換しても多少なりともその土地は寂れる」という鉄道職員の言葉が印象的だった。鉄道というのは、単なる移動手段を超えた存在なのかもしれない。

そのふるさと銀河線の停車駅に、「岡女堂」駅はあった。岡女堂とは、神戸市にあった甘納豆の老舗。十勝産の豆に惚れ込み、1988年に実験工房を、1991年にショップやミニ・ミュージアム併設の甘納豆工場を中川郡本別町に開設し、1995年、なんと建設費用約4,000万円を負担し工場直結の駅を作らせてしまったのだ。駅名も駅名標のロゴも同社のもの。プラットホームの上に四つ連なった三角形の屋根が特徴で、構内には「一寸法師」のモデル・少彦名命(すくなひこなのみこと)を有馬温泉の湯泉神社から分霊し奉った豆神社などもある。

本別工場は「とかち岡女堂」として独立後、ふるさと銀河線の廃止直前に経営破綻。現在は阿寒グランドホテルなどを経営する「鶴雅グループ」が土地建物ごと引き継ぎ、「岡女堂本家(合同会社 豆屋とかち)」となる。そして岡女堂駅のプラットホームは、廃線後もそのままの姿を残している。

老舗が選んだ“日本一の豆のまち”

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岡女堂の創業者は安政2(1855)年に甘納豆を考案した京都のぜんざい屋なのだそう。ちなみに甘納豆は、梅ぼ志飴でおなじみ榮太樓本舗が文久年間に浜名湖名物「浜名納豆(はまななっとう)」をもじって名付けた「甘名納糖(あまななっとう)」が元祖とされている。岡女堂の甘納豆はこれより早いことになるが、今回取り上げるのは「オホーツクの塩豆」なので、それはひとまず置いておく。

本別町は、“日本一の豆のまち”として特産の豆のブランド化と加工品の開発に力を入れている。春から秋にかけての、昼夜の寒暖差の激しさと、“十勝晴れ”と呼ばれる晴天率の高い気候が、甘みをたっぷりと蓄えた豆を育むのだ。

もちろん、この「オホーツクの塩豆」の大豆も本別産。北海道で栽培されていた青大豆「大袖振」の中からとりわけ良質なものを選抜した、糖分の多い「音更大袖振大豆(品種名:音更大袖)」だ。自家焙煎でカリカリの食感に仕上げ、オホーツクの海水と日高産昆布のミネラル豊富な塩を加えた北海道産男爵いもパウダーをまぶしてある。大豆そのものの甘みと、うまみを含んだ表面の塩がとても合う。カリカリポリポリ、気がつくと一気に一袋空けてしまいそうな、ハマる味だ(豆菓子って“やめ時”が分かりませんよね)。

経営者は変わっても、今も同じ場所で丁寧な豆菓子づくりを続けている岡女堂と、あの三角形の屋根のことを、のんびりとした旅の記憶と共に思うのだった。

ライター:和泉朋樹
車両写真:馬場杏輔

information

豆屋とかち 岡女堂本家

WEBサイト
http://www.okamedou.com/
住所
北海道中川郡本別町共栄18番地8
TEL
0156-22-5981
FAX
0156-22-5983
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