WEBでちょい旅 一厘録 ICHIRINROKU

「バッケバッケ」と豊年祭(鹿児島県)2014.06.05 /culture

「バ〜ッケバッケ、トゥーティブリ
ムレガトゥ キャーオタッスカ
アタラシャンティム クリッタボレ
アラドンドンセ アライクシャンセ〜」
夜の闇の中から、子供たちの歌声が響く。ゆるやかな子守唄のような曲調が、初めて聞くのにどこか懐かしい気分にさせてくれる。

夏の夜に響く子供たちの歌声

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ここは鹿児島県瀬戸内町、奄美群島加計呂麻島の芝集落。9月8日に行われる集落の「豊年祭」の前夜、ヤシに似た葉で作った腰みのをつけた子供たちが、歌いながら松明とともに家々を回っていく。木の皮のようなもので作ったお面をつけた子供もいる。
家の前に着くと、曲調は一転、子供たちは「六調」という奄美地方のにぎやかな踊りを始める。にこにこと見守る大人たち。子供たちは、踊り終えるとその家の人からお菓子をもらい、うれしそうにまた「バ〜ッケバッケ……」と歌いだし次の家に向かうのだ。
私が、このなんとものどかで、ほほえましい風習を見ることになったきっかけは3か月ほど前の飲み会の席にある。

のんべえ同士が飲んでいるときに持ちあがる企画が、実現されることはめったにない。誰も憶えていない、憶えていてもどう考えても無理だろうというものだったり……。だが、このときは違った。
きっかけは、年下の友人アケミちゃんの一言だった。彼女のおばあちゃんは奄美の加計呂麻島に暮らしているのだという。
「カケロマ」という響きだけで、心が躍るのだが、アケミちゃんはさらに魅力的なことを言った。
「9月の豊年祭には母と帰るんです。島にはおもしろい風習があって、夜に子供たちが家々を回って、歌を歌ってその家の人からお菓子をもらうんですよ」
「へえ、行ってみたいなあ。よし、私もカケロマに行く!」
酔った私が宣言する。酔っ払い同士だったらいつものように思い付きで終わっただろうが、実はアケミちゃんは下戸。この会話をしっかりと記憶していてくれ、私の加計呂麻島行きは実現したのだった。奇跡である。

[写真01]お面は「クバ(ビロウ)」という植物の皮で作る
[写真02]豊年祭前夜、腰みのをつけた子供たちが「バ〜ッケバッケ」と歌いながら集落を回る。腰みのはお面と同じく「クバ(ビロウ)」の葉から作る
[写真03、04]家の庭に着くと、曲調は変わり、子供たちは速いテンポの「六調」を踊りだす

おばさん、おばさん、カボチャをくださいな

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そして、9月7日「バッケバッケ」の夜。島に住むアケミちゃんのおばあちゃんも、座卓に座って子供たちを待ち受けていた。手には、オタマとお皿! 立派なパーカッションである。踊りだすと、これを鳴らしておばあちゃんは満面の笑顔になる。なんと素敵な島の風習だろう。
子供たちの行列についていく私たちも、意味はわからずとも「バ〜ッケバッケ……」と歌いだしていた。
歌は、「おばさん、おばさん、かぼちゃをくださいな、もったいないでしょうが、くださいな」というような意味だという。
「昔は豊年祭を祝う料理を作るために、前の夜子供たちが家々を回ってかぼちゃなどをもらって歩いたそうで。それが次第に、子供たちの好きなお菓子をもらう、という風習に変わったみたいです」
アケミちゃんが、おばあちゃんや親せきに聞いた話を伝えてくれる。
ところが、近年芝集落には子供がいなくなってしまい、「バッケバッケ」の風習は40年以上途絶えていたとのこと。2012年に復活したそうなので、このときの「バッケバッケ」は復活後まだ2回目ということになる。
「今でも芝の子供は少ないけど、別の集落から来てもらったりしてるんだ」と地元の方が教えてくれた。
家々を周り終え、公民館の庭に集まって「六調」を踊った後は、お待ちかねのお菓子の分けっこ。部屋の中には、うれしそうな子供たちの笑顔があふれていた。

[写真05]お皿とオタマを持って子供たちを待ち構える、アケミちゃんのおばあちゃん
[写真06]それぞれの家で盛り上がった後、お菓子をもらって帰っていく
[写真07]最後は公民館の庭で六調を踊って締めくくる。このあとはお菓子の「分けっこタイム」が待っている

島の男たちが見せる奉納相撲

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翌日は南国ならではの濃い青空が広がっていた。豊年祭は加計呂麻島の集落ごとに催される。芝集落の豊年祭当日のメインイベントは、相撲である。3人兄弟がお兄ちゃんと弟2人に分かれて闘ったり、「小学生横綱」だという立派な体格の男の子が力強い押し出しを見せたり。お孫さんを抱いたおじいちゃんは、見事な土俵入りを見せてくれた。おおいに盛り上がり、拍手と共に「おおっ」という歓声があがる。この祭りに合わせて、島を出て行った人たちも多く帰省する。アケミちゃんのお母さんもその一人ということになる。
お祭りが終わると、島の外に暮らす人たちは帰らねばならない。奄美本島から帰省している人たちなどは、その日の夕方に船で次々と去っていく。私はまったくのよそものなのに、その光景を見て寂しい気分になってしまう。祭りの後だ。
「この港から船で帰ると、だいぶ沖に出ても岸から見えるんですよ。私が帰るとき、おばあちゃんがずっと見送ってくれるとせつない気持ちになるんです」とアケミちゃんがしみじみと言う。彼女もまた、明日には帰らねばならない。
けれどまた来年、アケミちゃんやお母さん、島を出て行った人たちは加計呂麻島に帰ってくるだろう。
豊年祭と共に、どうか復活した「バッケバッケ」がずっと続きますように、と心から願った。

[写真08]翌日の豊年祭は、島の男たちによる奉納相撲が行われる。抜けるような青空のもと土俵入りが始まる
[写真09]三兄弟の「長男対次男・三男連合」の闘い!
[写真10]お孫さんを抱いたおじいちゃんの見事な土俵入り
[写真11]美しい海、濃い緑……豊かな自然が残る加計呂麻島。人口は1400人ほど

ライター:本郷明美
撮影:齊藤 正

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